体に良く、幸せを感じられるくらい美味しいものを作りたい
わたくしどもは、幸せを感じられるくらい美味しい、しかも、体に良い食べ物を作りたい。
という気持ちでうどんを打ち始めました。
ですから、当初うどんは売り物ではなかったのです。
昭和59年。
丸亀城のお堀端にある、自宅の一角でうどんを打ち始めたのが、亀城庵の始まりでした。
打ち始めて2年ほどは、友人や親戚に麺を配っておりました。
そのときも、販売する事より「どうすれば、もっと美味しいうどんができるか?」という事しか頭になく、普通は、先にちゃんとした工場や店を開くのでしょうが、わたくしどもは、何よりもまず、麺の研究室(ジャパンフードリサーチ)を立ち上げてしまったのでした。
香川の伝説を紐解く研究
当時、麺の研究室などほかには存在していなかったので、これは、業界初の試みとなりました。
体に悪いものを使わないで、如何に美味しいうどんを作れるか?
職人技を身に着けるだけでなく、香川の伝説を紐解き、さらには、麺の美味しさを科学的な側面からも研究してまいりました。
ところが、試行錯誤して出来上がった麺を配っているうちに、徐々に地元で美味しさが知られるようになり、小さな作業場では、生産が間に合わなくなりました。
ここで、ようやく本格的にうどんを販売する事も考えるようになります。
心から美味しいと思えるうどん以外は販売しない
うどん発祥の地であり、現・庵主の生まれた地、坂出に新たにうどん工場を開いたのが、昭和63年の事でした。
それから今日に至るまで、試食して心から美味しいと思えなかったうどんは、絶対に販売しないで歩んでまいりました。
一生懸命作ったうどんを売りたいスタッフと、それでも美味しくなければ売ってはいけないという庵主。
何度、それで衝突したか分からないほどです。
今後も安全な美味のため努力と情熱で信念を貫き通します
丸亀城のお堀端の小さな作業所から、こうして全国の皆様にご愛顧いただけるようにまで成長できたのは、手間と時間をかけても、安全性と美味しさにこだわる事をあきらめなかった姿勢に、多くの方がご賛同くださったからだと思っております。
わたくしどもは、今後も研究を重ね、どこにも負けない安全な美味を味わって頂けるよう、努力と情熱を持って、信念を貫き通してまいります事を、皆さまにお誓い申し上げます。
ご支援くださいましたすべての方に厚くお礼申し上げます。
いつもご贔屓にして下さり本当にどうもありがとうございます。
後とも、亀城庵を何卒よろしくお願い申し上げます。